2011年9月22日木曜日

なぜAiが必要なのか(食べる読書58-2)





以下抜粋




死因などにほとんど関心を持たないのは、単に自分が不幸な目にあっていないからだと理解できるはずだ。







「解剖至上主義」から「Ai優先主義」への転換は必須で、そうでないと日本の死因究明制度は近い将来、必ず破綻する。








日本のCT設置台数や検査数が多い理由は、国民皆保険制度によって気軽に病院を受診できること、医師数が少ないこと、CT検査料が欧米の数分の一と安いこと、検査好きの国民性など複数ある。









海堂尊は著作を通じ死因不明社会の存在を認識させ、Aiという現実的解決策を提示した。








死後CTデータを集積すれば日本人骨格データベースを容易に作成できる。…。CTを用いた日本人骨格データベースは人工関節に限らず様々な方面に利用可能で、問い合わせも多い。








再構成画像は一般市民への説明には適するが、注意点もある。元のCTデータは客観情報だが、再構成画像作成の際には、作成者による情報の取捨選択が行われ、必ずしも客観性のある情報でなくなってしまう点だ。臨床画像に習熟した放射線科医か診療放射線技師が作成することが推奨される。









確かにAiには弱点もあるが、Aiでなければ得られない情報もある。









医療にはわからないことがあるということを認めてほしい。でなければ医療は成り立たない。今回の件は最初に「異常死」として警察へ通報したが、反応がなかったため院内で病理解剖した。にもかかわらず病理解剖の「血管は無傷」との所見は判決では無視された。司法解剖では判決は違ったはずだ。









カンファレンスでは、医療と司法には相容れない性質があることにも議論が及んだ。








この事件は、医療の専門家にとっても明確な死因がわからないケースだった。にもかかわらず司法の専門家は「わからない」とは言わず、机上の推論で判断を下した。最高裁でK病院の敗訴が確定したことは医療者の一人として残念であった。








現在の医療崩壊は市民・メディア・行政による複合行為の結果であり、それは2004年に日本の医療費が先進7カ国中で最低になった時点で予想できた。








本来、医療行為にはリスクが伴うのだ。それは出産も例外ではない。事故や過失が、死亡や障害に直結するのが医療である。にもかかわらず、予見義務や結果回避義務の違反を罪とする業務上過失致死傷を、医療行為に適用することは不合理ではないだろうか。








ミスの有無ではなく障害の有無をもとにした判決は、結果として障害の残りそうな重傷者を診療しないという風潮を招くのである。








臨床現場を知らない法医学者は性悪説的な死因究明を求める。医療者は悪意がなかったことを自ら証明しなければならない。だが解剖では結果しか見えず、そこに至る経過がわからない。







人は死という概念を自らは体験できない。だが他者の死は認知可能である。








メディアとコンピュータ技術は、我々の脳の対応能力を顧慮せずに進化する。だからこそわれわれ人間は意味付けの負担を軽減する技術を必要とする。








「Aiによって獲得された情報は、既存の情報コントローラーからは利用可能性を制限され、さらにAiという情報獲得プロセスあるいは流通プロセス自体が制限される」








情報が多ければ多いほど、不確実性は増大し、受け容れられる情報は減少する。こうして、現代世界に生きるわれわれは、無知の増大を信頼によって埋め合わせるしかなくなる。……まさにインターネットこそ、知識の信頼性の問題をきわめて鋭く提起しているのだ。われわれの文化は、真実を知ることを断念して久しい。真実に取って変わるのは情報相互の競争を信頼するということである









科学技術そのものは価値中立的であるという議論に対して、挑発の議論は、新たな科学技術それ自体が社会を新たな局面に巻き込んでしまうと主張する。








フランクフルト学派とは、マルクス主義をベースに、批判理論による社会理論、哲学を研究しているグループの名称である。









われわれは世界で出会った出来事にとって受容可能なもの、納得できるもの、説明可能なものとするため、「物語」という形式を必要とする。









犯罪が成立するためには、構成要件に該当する違法な行為について、さらに、その行為者に非難が可能であることを要する。







法は国家や社会の秩序維持という大目的に奉仕し、個々の構成員についての公平性や正当性など考慮しない。










患者を救うべく医療行為を行っているにもかかわらず、結果が悪いだけで刑事責任が問われるというのは、医療者には大きな矛盾と感じられる。









人は注意深く行動しなければならないし、その行動に責任を持たねばならない。だからといって、エラーが生じたときに、個人を責めるだけでは、システムの安全化にとっても、同じようなエラーを起こすことを防ぐうえでも効果は低い。








哲学者は世界をあれこれ語ってきただけである。大切なことは世界を変革することである。



以上
またね***




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一枚の葉

 今、私は死んだ。 そして、その瞬間、自我が生まれた。 私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。 死ぬことでようやく自己が確立するのか…。 空気抵抗というやつか。 自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。  私はこの樹の一部だった...