2011年9月8日木曜日

次世代インターネットの経済学(食べる読書51)



経済学の観点から、次世代インターネットへと移行中の現在の日本の状況について述べている。





本書を完全に理解できたとはいえない、少し自分には難しかった。経済学勉強しないとなあ…。






だが、経済学という視点であるため視野が狭くなっているのではないかと感じた。







経済学者なのでどうしてもそうなってしまうし、本書の役割もそうなのだが、次世代かつ現在の情報通信の状況を経済学で把握しようとしている。そうなると、現在使われている、あるいは発表されている経済学説の数や質に依存してしまい、本質を見抜けないんじゃないか。しかも、対象とするのは、人類がこれまで経験しなかったような大規模情報通信による経済である。








そして、そのことがそのまま「ブロードバンド立国」、「規制と規制緩和」に関して適切な対応が見いだせていない現状の原因にもなっているように感じる。






学問は二元論をもとに発展してきた。主体と客体がきっかり分かれているから、対象事象をあらゆる角度から観察し、そこに潜む法則を発見できるのだ。経済学も例外ではない。すでにある経済活動を観察することでその活動を適切にある程度コントロールできるようになるのだと考える。








本書では、“両面市場”を取り上げたりしながら、現在の経済の変化を示している。





「デジタル経済化は、単純系の経済学から複雑系の経済学へのパラダイムの転換を求めている。」





と本書で述べている。





そして、






「複雑系の経済学は、企業の栄枯盛衰、技術革新の創出、製品のライフサイクル、消費者選好の変化、産業構造の変化、地域・国家の興亡のような自己組織的現象も研究対象とすることになるのだ。」





と締めくくる。





のに、第4章”「規制」と「規制緩和」の経済学”と終章”ブロードバンド立国への提言”ではこの自己組織的現象の視点が抜け落ちているように感じた。







この2章では、供給側や規制側の視点でしか語られていない。そもそもインターネットはまだまだ人々の生活に新たな価値を与えるには至っていない。人々はインターネットがどんな利益を与えてくれるのかわからないのが現実だと感じる。







なので、ブロードバンド立国を目指すなら、まず最終サービスから考えていくのがいいのではないか。つまり、コンテンツサービスを出発点にし、それに合わせてプラットフォームサービス、通信ネットワークサービスを整備していく。さらに、これは国家的プロジェクトで膨大な資本が要る。だからこそ、人々の生活になくてはならないサービスを提供しないことにはなかなかうまくいかないだろう。








新たな価値を人々に啓蒙するには時間はかかるだろう。
初期の車を資料か何かで見たことはあるだあろうか。今のようにスポーツカーのような形はしていなかったはずである。どちらかというと馬車に近いフォルムだったはずだ。また、初期のテレビはどうだろうか。むかしの家具に近いデザインだったはずである。






人々にこれは「何ができるか」を啓蒙するには、それに近いものに似た形にするのがいい。「あぁ~、代替物なんだ」、「新しいタイプか」と思わせればいいのだ。







それをインターネットにあてはめるとどうなるか。





私は、病院のカルテはどうだろうかと提案したい。カルテは人々の病気の経歴が載っている。しかし、それは病院単位である。なので、一人の医師の診断しか載っていない。また、病院を変えれば過去の病歴とそれに対する療法などは載っていない。病気は変わっても、それに苦しんでいるのは同じ一人の人間である。よって、カルテを病院単位で管理するのではなく、個人単位で管理してはどうだろうかと提案したい。病院に行けばその病歴はカルテに書きこむが、それは個人のインターネット上に載せるのである。なので、医師はインターネット上のカルテを観てその人の病歴から、いま来院している人の症状を診断できる。なのでより良い医療ができるのではないかと考える。そして、このことは膨大な医療費の削減にもなる。自分が自分の病歴を管理しているため、自分の体に関する医学的情報を把握しているからである。なので、人それぞれ自分に本当にあった生活を選択できるようにもなるのではないか。





以上が一つのインターネットによる人々の生活を変える提案である。これを前面に打ち出せば、国民もブロードバンド整備に対して金を出す気にはなるだろう。自分の健康に関することだからだ。医療訴訟も少なくなるだろう。





問題はインターネット上での安全性だろう。ここをクリアすれば、上の提案は現実味を帯びてくるのではないだろうか。




まずは国民を納得させる大義名分があるかだ。






どう思いますか?







以下抜粋



固定インターネットと携帯電話のネットワークサービスを融合させたFMCサービスが技術的には供給可能な状況にありながら、NTTグループへ課されたボトルネック規制のために提供できずにいて、利用者の潜在的利便性が損なわれている。







他人にただ乗りしようとして、結局、誰からも供給されなくなる財を公共財という。コンテンツは公共財的性格を持っている。








悪化が良貨を駆逐するように、バーチャルがリアルを駆逐する。我々は、デジタル革命のデメリットにも目を向ける必要が出てくるだろう。







消費者の本離れがどのような理由によって起こっているかは慎重な考察が必要であろう。しかし、デジタルブックの登場によって価格が下がっているにもかかわらず、売り上げ冊数も下がっているという奇妙な事態が進行しているのは気に掛かる。デジタルブックは読書家の草の根を広げるにはいたっていないのだ。






情報通信産業の費用構造は莫大な固定費とゼロ同然の限界費用によって特徴づけられる。このような供給側の規模の経済性が第一のデジタル経済の法則である。








エコシステムとは生物学でいう生態系のことであるが、近年、ビジネスの世界でも使われることが多い。要するに、一企業の利潤最大化ではなく、複数の企業がお互いの競争優位性を代替、補完させながら、産業全体の収益構造をどうやって維持拡大していくかという考え方である。








利活用が生む真の付加価値。これを実現できている国や事業者はまだどこにもいないのだ。チャンスは日本にもある。









インセンティブ規制において、ネットワーク産業固有の供給側と需要側の規模の経済性がもたらす経済的帰結が十分には解明されていない









情報リテラシー向上のための木城町が行った啓蒙活動も積極的であった。インストラクターによるパソコン講習会を毎日開催し、二十四時間体制のトラブル対応に備え、ウイルス対策の相談にも随時対応した。山間のために、ラジコン飛行機で光ファイバを架線するなどの苦労もあった。









加入率30%は後続の地域でも共通して観察された数字であり、自然加入に任せた場合の限界値なのかもしれない。







「こんな小さな画面で子供の病状までわかりますか。」
「自分の子供の顔色くらい、見ればわかります。」
大学の先生の質問に最初はおどおどしていた母親がその時だけは毅然と答えた。利活用は上から与えるだけでは駄目で、利用者目線で実際に使ってもらわなければ分からないものだ。



以上
またね***





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