2011年9月12日月曜日

希望は絶望のど真ん中に(食べる読書53-1)



私は今31歳だが、これまで私の人生の中で出会った人生の先輩たちは、現在40後半、50,60代の人たちが多いのではないかと振り返って思う。そして、その先輩方の発する言葉、態度に魅力を感じることはなかった。理由は簡単で、年下に対して話すのは社会の仕組みや時代の隆盛を前提にしていたからである。つまり、いい人生を送りたいなら、こういうことをしなさい。今の時代はこうだから、ああしなさいなどである。単に世間のルールに如何に自分を合わせられるかのみが評価された。





そして、現在、既存の社会のルールでは機能しなくなっているのが明らかになっている中で、彼らは新たなルールを創ったり、またはそれに対する知恵などは持ち合わせていないように感じる。





これが高度経済成長を支えてきた人々の実態である。如何にルールを守り効率的に行うか、それが成功への道と信じ生きてきた人たちである。







なので、その成功へのルールから外れると、どうすれば成功するのかわからないのである。そういう人が教育者になるのが悲劇なのだ。自分の成功の方程式に当てはまらない生徒がいると「今のままでは人生を棒に振ることになるぞ」と脅す。これはもうやくざです。ただ単にその子の良さを見つけられず、また伸ばす術を知らないだけなのにだ。しかし、そもそも公教育は国が金を出しているので、どんな人間にするかは国が決めることなので仕方のない部分はある。






以前、過去は今の時代を客観的に知るために活用できると書いた。






現在の社会において子供たちと接する人の年齢層はどの世代が多いだろうか。その年齢層の人たちの価値観は何だろうか。







私には夢がある。”次の時代を切り拓く哲学思想を構築すること”だ。だから、私の育った時代の価値観、その前の価値観、今の時代の人たち、前の時代の人たちこれらがどう歴史を育んできたか知る必要があると感じるのである。そう考えたとき、もっと多様な時代の人たちの考えに触れる必要があると痛切に感じたのが今回紹介する本である。







衝撃でした。文章の端々から、真剣に物事に取り組んできたことが感じられるのである。こんな視点を持つには普通に過ごしていたのでは持てないと思う箇所も多々ある。






戦時下で新聞記者をしていた著者は現在96歳。その洞察力の深さ、そしてそれが故に見える現実社会の醜い部分に対して目をそらさずに向き合う姿勢に、ただただ感服するしかない。







読むのにエネルギーがいる。だが、目をそむけてはいけないことなのである。





to be continued ・・・


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