2011年9月5日月曜日

雨の中のチャリンコ

今日は一日中雨だった。



しかし、自転車で約一時間の場所まで行かないといけなかった。



バスや電車はあるにはあるが、田舎なので本数が少ない。バスや電車だと待ち時間などを含め2時間はかかるだろう。



なので自転車にした。




行きは、到着間近に雨が強くなり、スコールのようで近くの軒先に一時雨宿りせざるを得なかった。




一方、帰りに外を見ると、雨は相変わらず元気に降っているので少し萎えたが、腹ごしらえをして、雨の中へ飛び込む。




途中に畑ばかりの中を通る。




雨のなかを自転車をこぐなどあまりない経験だなと思い、この経験から自分は何を学べるのか?、この雨は私に何を教えてくれるんだ?と田舎道で叫ぶ。





もう少しで家へ着くというところで、雨が強くなる。






やれやれ、常に同じ調子で降ってはくれないな…。





だが、なぜゴール間近に雨が強くなるんだ?





単なる偶然かも知れない。





が、何か意味はあるのかもしれない。





終盤に雨が強くなり、風も出てくるということは、チャリンコをこぐにはハードな環境ということ。






始めは、ハードではなかった。




どうして始めにハードなものが来ないのか。





何をするにしても、始めは”力”がないから。




だから、はじめに「これはいけるかも」と思いその世界へ飛び込む。





が、後からハードな局面にあってゆく。それは、“力”をつけているから。





力をつけているから、ハードな環境でも生き残れる。いや、“勝ち残る”と表現した方がかっこいいか。






この雨は、基礎を怠ることなく一こぎ一こぎしっかりこぎなさいと言っている。すると、よりハードな場面においても一こぎできる。それは“力”をつけている証だと。






そして、もうひとつ。




この雨がそんじょそこらのどこの馬の骨かわからないような雨でないということから気づいた。





この雨は、いま日本中の天気を雨に塗り替えるほどの能力をもつ台風による雨である。つまりなかなかお目にかかれない、ハードな環境を我々に与える奴によるものということ。






そんな中で、びしょぬれになりながらもこぎ続けた。






さらにいえば、そんな中でもこぎながら、普通だったということ。うろたえるということでもなくあせってたわけでもない。ただ、いつもの自分でいつづけていたということに気づいた。







こんな雨ていどではほとんど心は動揺されない。





松下幸之助の言うように、「雨が降れば傘をさせばいい」。






どんな環境においても自分を普段のままに、最大限自分を活かせるように準備というか心に余裕を持っていればいい。






しかし、今回の台風で家が土砂でつぶれた人、亡くなられた人もいる。






なのに以上のような記述をするのは不謹慎であると思う。






土砂の原因は森林伐採なのかもしれない。あるいは、そういう危険な場所と認識はしていなかったのか。または、台風自体をなめていたのか。






私は沖縄出身なので、台風の怖さはわかるつもりである。







なので、本土の家を見て、台風が来たら大丈夫かあ?と思う建物をよく目にする。また、家のある場所など、台風が来たらあぶなくないか?という場所にあったりする。







台風はほとんど本土には上陸しないので今まではよかったのだろう。






私が言いたいのは、普段の自分を出す。どんな環境においてもだ。そして、普段の自分とは最大限自分の魅力を発揮している私であるということ。






それを成すにはあらゆる想定の下、己の住む場所や生活、または台風が来たらどう対応するかをあらかじめ決めるということ。







その対応の決定の基準は「いかにに普段の自分でいられるか?」である。







人はいろいろな経験を経て自分を確立していく。






今日は面白く楽しめた経験でした。






神様、仏様、ご先祖様、



ありがとうございます。




以上
またね***





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