2009年1月17日土曜日

心にきた言葉集13

「あなたが、{私は傷ついている}というとき、傷ついている{私}とは何なんでしょうか。それはあなたが、自分について築いてきたイメージではないでしょうか。」

うん。そうなんだよな。

誰でもいいが、誰かとホントに真剣に付き合ったことがあれば、こういう誤解は生まれづらいとは思う。

やっぱりこれも自分を認識するとはどういうことかに関係していると思う。

人と真剣に付き合うということはエネルギーが要る。自分のすべてを相手にぶつけるし、相手のすべてを受け止めないと成立しないからだ。

自分のすべてをぶつけるということは、自分が自分に対するイメージをすべて相手に伝えるということだ。ただ、表に出すということではない。確かに相手がそのすべてのイメージを自分と共有することだ。

ここで共有という言葉を使ったが、複数の人が完全に同じ価値をそこに見出すことは不可能だろう。

理由は、われわれは物事を知らないから。「知るとはどういうことか」もちゃんと解明してないし、ここではその理由を深く追求はしない。

ここで言う「共有」の意味は、相手に「自分はこのことをこう見てますよ」ということを思わせるということだ。

詐欺みたいな感じだが、結局はこういうことだと思う。詐欺も、実際にはないが同じものをお互いが見ちゃったために成功するからだろう。

どういうプロセスをたどれば相手と自分自身のことを共有できるだろうか。

一般にある現象から単純に導き出した答えだが、それは言動によるものと思う。

あいつはこういう状況でこんなことを言うし、こんな行動をする。だから、あいつはこういうやつなんだ。といった具合。信用できるやつかどうか。

自分のことを相手にもっとよく知ってもらうには、より多くの時間を共有する必要があるということ。逆も然り。

戦争など命を懸けた体験をともにした人同士は、たとえ共有した時間が短くても互いの絆は強いと聞く。

なぜか?

まさに自分の存在をかけるほど真剣に相手と付き合ったからだ。自分を知ってもらわないといけないし、相手を知らないともいけない。

でもそれは、外部環境がそうさせたということが現在のニートの多さや人とのかかわりが希薄だといわれる現在との対比でわかる。

別に相手に自分を知ってもらったり、相手を知るより、社会の一般的ルール(買い物の仕方など、まあマニュアルかな)を知ってれば一応餓死することはない。

自分も含めてなかなか真剣に自分をぶつけれる人とめぐり合えない。その必要性がないというのが主な理由だ。

それが自分へのイメージを肥大させることにつながるというのが一般的な説明だ。

社会は個人にとって外部環境となりうるのか。それとも、時代の要請が外部環境なのか。

もっと質問を明確にしないといけないな。

社会とは何のこと?社会システムのこと?それとも自分の所属する集団の何か?それにそもそも社会は個人の集合体ではないのか?それは、経済でいうミクロとマクロの関係でいいのか?

自分の夢は、独自の哲学思想体系を構築することだが、そのキーワードとなると思うのが”力”だ。力とは何か?この世に起きてる現象は”力”を単位として表せるのではないかと考えてる。で、最近”力”はエネルギーの変化に伴うものなのではと感覚的に思っている。

ということは、他人と関係を強めることとその代わりに自分のイメージを強めるのはエネルギー的にどうなのか。

前者はエネルギーがよどみなく流れ、互いを行き来する。が、後者は、エネルギーがその場にとどまるしかなくなり、それが自己イメージへと昇華する。といった具合かあ?

なんか安易なんだよなあ。しかも、どうやってそれが正しいと証明するの?エネルギーが人の意識にどう作用するかわからないといけないし、エネルギーの何が作用するの?量?変化の方向性?

わからないこといっぱいだね!

以上
ひとつの仮説を立てたら、自分は何を知らないかを知るようにはなってきたかな。
また、明日***

0 件のコメント:

巨悪の正体(食べる読書130)

日々実感しておりこんな社会の中でどう生きていくか、が課題ではあった。 このような本が出るほど日本の白痴化は進んでいるんだな、と改めて実感した次第です。 自分を通して人間がクソであることは実感していてそのクソっぷりとも依然と比べればうまく付き合っていけるようにな...