2009年1月6日火曜日

心にきた言葉集6

「最も試験済みのすでに千年の歴史をもつ、奴隷状態から人間を精神的に更生させ、自由と道徳的完成に向かわせるこの武器(長老制)も、場合によっては、両刃の凶器に容易に変貌しうるものであった。従って中には、忍従と徹底的な克己に赴く代わりに、反対に最も悪魔的な傲慢、つまり自由ではなくて束縛へと赴くものも出てくるわけである。」

難しい。自分のしてることが自分の意志なのかどうか?自由から出たものなのか?だとしてもその行動が自分の自由を否定するものではないのか?

バランスを保てということだろうと思うが、どうしてそれがバランスがいい状態であると言えるのか?一度でも、徹底的に片方に偏らないとバランスの重要性はわからないのではないだろうか?

軸。考える軸。行動する軸。心の軸。いろいろあるが、これらの軸は根本の部分で一致してないと人は生きていけないのではないかと思う。なぜならそれらがその人の生きる道をつくる土台となると思うからだ。

忍従・克己と束縛は違う。ぱっと見は同じように見えるがその行動を起こす考えが違う。具体的にどう考えが違うだろうか。主体的か受動的かということ?

なんかなあ、いつも同じでちゃんとした結論を出せるよう細々と書けないな。長くなるし。
とびとびでいつもすみません。わかりやすく書けるよう工夫します。

以上
では、また***

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