え~、今日はよくある考え方である、“魂”と“肉体”について考えてみたい。
っていうか、なんで魂が出てきたの?肉体はわかる。実際に見て、触れて、感じることができるから。なんで、人間を魂と肉体から成ると考えたか。
まず、私たちが肉体の存在を認めるのは、この人間に備わっている五感によってその存在を把握できるからだと思う。言い換えると、私たちが生きることにおいて、認めざる負えないような情報があるからだろう。足があるから移動できる。移動するから、生存する確率が高くなる。だから、私には足がある。足があるのが私。(足が重要になるのは、生きる上で移動のスピードが大事だからだ。原始時代や戦闘では、動けないほどのけがは、即“死”を意味する。)という風に、言葉を使わなくても人は世の中を認識してきたのではないかと思う。
こう考えると、死体を見た原始人はこの死体をどう捉えただろう。肉体はある。が、動かない。なぜ動かない?何かの欠如をそこに見出したのかもしれないし、なにかの変化と見たのかもしれない。
で、よくある考えが、魂が肉体から離れた、だ。
確かになんとなく、魂の存在は感じる。我々の体は物理的制限があるのに、意識はそんなことものともせず色々な空想を描いていく。妄想の中では無敵のヒーローになれるのに、現実の肉体は少し走っただけですぐ息切れ。
魂は永遠というけれど、なんでこんな時間的・空間的に制限された世界にいるの?そこが全く分からない。宗教では、この世界が次元が低い世界で、魂の修行のためといわれるけど、このジレンマを乗り越えろということ?魂は自由だが肉体は不自由なこの世界で自己実現をしてみろ、と?
何か知らないけど、妙に納得して明日からがんばろうかなという気にはなるかな。納得はしてないけど。
結論:勉強不足。でも、いけるぞ!
今日もいい一日だった。
おやすみ***
2008年12月12日金曜日
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