昨日は、人の能力は数値化できないと言った。
なぜか?
まず、医療を例に考えたい。その人の体の状態を把握するために精密検査をする。しかし、その数値の意味を真に分かるには、その人の生活習慣、個人的特徴などなどその人の体に影響を与える、あらゆる要素を検証して初めて分かるのだ。つまり、その数字はどの次元にあるか?だ。検査の結果の数値が正常かどうかは、あくまで統計学に基づくものだし(それはそれで大事)、そこにはその人の各年齢での情報が欠けてる場合が多い(その情報を管理するシステムがないだけかもしれないが)。
1+2=3。この方程式は真実だ。その前提として、“1”、“2”、“3”が同じ「次元」にあるということがある。
「体温はいくつですか?」と聞かれて、血圧の値を答える人はいない。自分の知りたい情報がどこ(どの次元)にあるのかを知る必要がある。
ここに、現在の会社が人の評価に苦戦する理由があるように思う。
会社を取り巻く社会状況の変化が速く、その社会状況に合わせて会社も方針を変えていく。そのため、会社の求める能力(次元)も変わっていく。その結果、昨日と今日での数字の次元が違うため、単純な足し算では測れないのではないか。
ところで、リッツカールトンはこんな数字の使い方をしている。
電話の対応の悪さに15点。
飲み物の補充漏れに10点。など。
この点数をもとに、各セレクションで、同じことが起きないように話し合って、解決していくそうだ。
数字を終着点にするか?数字を出発点にするか?の違い。
数字は一つの次元(ひとつの意味)しか持てない。ただそれだけだ。
数字で人の能力を表現できないが、人の変化をみる際の情報を提供することはできると思う。
「数字をどう使うか?」それが、重要ということか。
コンフリクト・マネージメントのコンフリクトのテーマがそれだといいのかもなあ。
今日もいい一日だった。
おやすみ***
2008年12月16日火曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
一枚の葉
今、私は死んだ。 そして、その瞬間、自我が生まれた。 私は、一個の生命体なのだ。もう死んでいるのだが。 死ぬことでようやく自己が確立するのか…。 空気抵抗というやつか。 自我が生まれたが、自身のコントロールは利かず、私はふらふらと空中を舞っているのだ。 私はこの樹の一部だった...
-
「竜馬がゆく」 文春文庫 司馬遼太郎 著 竜馬がゆく 全8巻セット (新装版) (文春文庫) ついに読み終わったあ~!!三ヵ月四カ月かかったかも…。八巻です。初めての歴史小説です。素晴らしい本に出会えました。というか、素晴らしい人物に会えました。竜馬に惹かれっぱ...
-
「科学の基礎的法則はみんな当たり前のことから出て来るんです。当たり前と思うことがなぜそうなのかを厳密かつ精密に証明するために何が必要なのかを考えていくと、より基礎的な法則に出会えるんです。」 そう。つまり、学問の考え方は、帰納法にすぎない。今、目の当たりにしている現象という結果か...
-
「心の奥には、まだ存在していない、いくつかの場所がある。痛みは、その場所を在らしめるために違いない。」 そうだな。痛みに対する考えは、何に対する痛みなのかを考える必要があるな。痛がってる時点で、その存在は証明されてるから、自分には今まで気づかなかった新たなものを感知する能力がある...
0 件のコメント:
コメントを投稿